2010年6月3日

群衆の影に隠れるような意見の言い方

常々気になっているというか、気に入らない言い回しがある。

「~は、私『達』に責任がある」

といやつなんだけど。
TwitterのTLが(現職国会議員をフォローしまくったおかげで)鳩山辞任ばっかり流れていく中で、

「民主党を選んだ我々国民にも責任がある」

みたいなのがRTされてたりするわけだ。
これを発言した人のバックグラウンドを知らないから、果たしてこの言葉が妥当かどうか分からない訳だけれども、昔から気になるのは何で「私」じゃなくて「私達」って言う「俺も悪いけどお前らも悪い」ってな表現ばかり見受けられて、かつソレを不自然だとか気持ち悪いっていう感覚を持つ人が、少なくとも自分の観測範囲に置いては、圧倒的少数なのか分からない。

物の表現として「私を含めて(とある集団)皆」というものがすべておかしいって言ってるわけじゃないんだよ?当然だけど。例えばとある部署の長が「部員皆でがんばりましょう」とか「部員皆が反省しなければならない」って言うのは至って普通だと思うんだ。
「環境問題に配慮した持続的開発と言うことについて、日本国民一人一人が意識していかなければならない」とかってキャスターが発言したとしても、これも普通だしね。


俺が気持ち悪いのはそれじゃないんだよね。感覚的な物になってしまうんだろうけど、自分に対する言い訳を、自分を集団の中に埋没させながら行うっていうのが許せないことだし、気持ち悪いことだと思うんだ。


言い回し自体が正しいが故に、気にしなきゃ気にしないでサラッと流せることなんだろうけど、気にし始めるとすごく気になるんだよなぁ。